「恐れあり」の蔓延

自民と公明が集団的自衛権論議で、「恐れ」の解釈で堂々巡りを繰り返している。今日、身辺には色々と「恐れあり」の問題がある。「少子高齢化が進む」「生活全面で拡大する格差」「原子力利用の再開」「武器輸出制限の緩和」等々。これ等に増して「恐れあり」の懸念は戦後70年近い非戦の国是が崩され「集団的自衛権」への参加に向かって実現を急ぐ安倍政権の姿勢にある。而も、それを、憲法改正の手順を踏まずに、条文の解釈拡大で実現しようとしている手口だ。
 戦後、戦争放棄を掲げて、世界の戦勝国に伍し、平和国家として繁栄を築いてきた。アメリカと結んだ安全保障条約は事実上の同盟であり、中東紛争で戦争参加を要求されても、何とかかわして「後方支援」でくぐり抜けてきた。それが、ここへきて、明快に自衛権行使に傾斜していく。それも、正面きっての憲法改正の手続きを避け、条文の読み替えで通そうとする。立憲主義を無視する構えは、自民党の総意なのだろうか。党内に異論があっても、選挙怖さでものが言えないのだろうか。引退した何人かの要職経験者は、警告する。
 「世代交代で今、戦争を知らない政治家が国民をあおっている」(加藤紘一氏)。
 「戦争ほどノンルールなものはない。(略)集団的自衛権に頼らなくとも、日本という国が存立できるよ  うにするには、教育が行き渡っているとか、もの作りが優れているとか、国の力をはっきりと主張し   たらいい。」(与謝野 馨氏)。
 「安倍さんは前のめりにすぎる。一呼吸おいてからものを言いなさい、と伝えたい。憲法との関係をまず  きっちりと考えないといけない。」(海部俊樹氏)

 更に、東大名誉教授 三谷太一郎氏は、朝日新聞6月10日のオピニオン欄 「安全保障を考える」で次のように述べている。
「戦争によって国益は守られない、戦争に訴えること自体が、国益を甚だしく害すると考えます。日本の安全保障環境は、戦争能力の増強ではなく、非戦能力を増強することによってしか改善しないでしょう。その際、日本が最も依拠すべきものは、国際社会における独自の非戦の立場とその信用力だと思います。」

 恐らく、現内閣の主張は公明党との多少の妥協を経て、実現するだろう。そこで、その封じ込めの手だてとして、「自衛の行使を日本周辺に限定する」「憲法は読み替え不可」など、ハードルを高くする民意を示すことだ。
 現内閣の泣き所のひとつは支持率の低下にある。世論調査の数字は設問に明確な結果を示す。幸い今のところ、民意は冷静に政治の動きを見ているようだ。最近の安倍内閣支持率は低下し始めた。経済や海外活動の成果に乗って強引に自己の主張を実現しようとしても、NOの意思表示としてパンチ効果が期待できるのではないだろうか。