災害は忘れた頃にやって来る

先日、東北学院大学公開講座で、「災害を乗り越えてきた人々」を聴講した。そのとき、柳田國男の『雪国の春』の[二十五箇年後]の記述に、次のような話があると紹介された。

 母はいかがな事があってもこの子を離すまいと思って左の手で精一杯に抱 えていた。乳房を含ませていたために、潮水は少しも飲まなかった(略)
 時刻はちょうど旧五月五日の月がおはいりやったばかりだった。怖ろしい 大雨ではあったが、それでも節句の晩なので、人の家にいって飲む者が多 く,酔い倒れて還られぬために助かったのもあれば、そのために助からな かったものもあった。総体に何を不幸の原因とも決めてしまうことができ なかった。(略)二階に子供を寝かせておいて湯に入っていた母親が風呂 桶のまま海に流されて裸で命をまっとうし、三日目に屋根を破って入って
 みると、その子が傷もなく活きていたというような珍しい話もある。(以 下略)

 これは柳田國男明治三陸津波の時、唐桑半島で聞い実話である 斯様な珍談奇談は語り継がれるが、数知れない悲劇は二十五年もすると風化して、「村落の形は元のごとく人の数も海嘯の前よりはずっと多い」と記し
「歴史にもやはりイカのなま干し、またはカツオのなまり節のような段階があるように感じられた」とある。
 これをもって、今回の災害の二十五年後を予測すると、災害は再び繰り返されるような不安を禁じえないのである。