「小澤氏の無罪判決」が齎すもの

 裁判と云うものは、証拠と認められることの中から積み上げたもので理論を構築して、原告、被告双方がそれぞれの主張を導き出し、裁判官が、その何れが妥当かを判断する。そこには裁判上のテクニックが介在して、結果が出る。判決は、結論に至る過程を詳細に陳述するが、今回、それは必ずしも明解なものではなかった。
 判決を読み進むと、被告側の巧みな主張展開、検察側は不当な供述調書作成などあって、自ら墓穴を掘る結果となってしまった。判決文にも、小澤氏に疑わしい点があっても、確たる証拠が無いので、検察の主張を認めることが出来ないとの指摘がある。「疑わしきは罰せず」の原則に基ずくものだが、スッキリしない後味が残る。
 裁判上の結果は被告に軍配が揚がったが、最大の収穫は、小澤氏の「政治手法の実態」がかなり明らさまになったことだ。金で派閥の数を確保して、政治を牛耳る手法だ。その為に4億もの資金を確保している。しかもその出所を知られたくないとの必死の行動だ。
彼は、裁判無罪を振りかざし、民主党内の主導権を取り戻し、来る選挙に乗り出して来るだろう。政界は、与党も野党も、政局の変動に右往左往して、財政再建選挙制度改革もそっちのけで、選挙に血道をあげることになる。
 さぁ、我々選挙民はどうしたものだろうか。