オリンピックの現状、これでいいのか

 開幕が近ずくにつれて、熱気は上る一方だが、幾つかの懸念もある。
 オリンピックへの関心は、メダルの獲得数や、記録の更新に、集中する。マスコミもここぞとばかり煽り立てるので、一般の期待は高まる一方だが、競技に向かう選手たちのプレッシャーは計り知れないだろう。伸び伸びと精一杯のプレーができるような周囲の配慮が欠けているのではないか。
 近代オリンピックは、1896年、フランスのクーベルタンの提唱のもと、世界5大陸の融和、平等、平和を掲げて始まった。回を重ね、世界情勢の推移もあって幾多の曲折を経て、規模を拡大し、今や、世界最大の国際行事となった。しかし、当初掲げた「アマチュアリズム」は徐々に崩れてプロ化が進み、記録更新、競技技術向上のみが激しくなってきた。国家的な介入のもと、選手の育成に狂奔する。商業主義の参入は1984年のロスアンゼルス大会から顕著になってきた。オリンピックは、発展途上の国には、国力を示す絶好の機会ともなる。今日のギリシャの経済危機も国力を無視したオリンピック開催への投資がきっかけの一因となった。選手の育成やメダル獲得の褒賞でも、目を見張る制度を設ける国が出てきた。オリンピック参加のために国籍を移すなどの行為は最早オリンピックの基本理念にもとるものと思わざるを得ない。プロ選手を対象に世界規模で競技組織の出来ているものはオリンピックの種目からは分離すべきではないか。野球、サッカー、テニス、ゴルフなどだ。
 色々なゆがみを抱えて、オリンピックが開催される。
 観客席の我々は、ベストを尽くしてプレーして帰国する選手に、競技の結果如何に関わらず、暖かいねぎらいと称賛の態度を示したい。