「敵に塩を送る」故事は日本のみのことか

 大震災影響の風評被害で、福島の桃が売れ行き不振を蒙っているのを聞いて岡山の桃生産農家が協力をしている。両者が往来して、相手に栽培の秘伝まで教えている。同じような助け合いが、宮城と熊本の食肉牛農家でも行われているそうだ。又、津波で被害を受けた宮城県亘理の苺栽培農家に呼びかけ、北海道伊達の同業者が耕作地を提供して、苺栽培を再開させた。これらはすべて、市場の競合する立場を承知で、協力の手を差し伸べたのだ。松島湾の牡蠣養殖も、津波で全滅に近い損害を出した。これを伝え聞いたフランスの同業者が、かって牡蠣養殖で損害を受けたとき、日本の同業者から種牡蠣を送って援けられたお返しに種牡蠣を送ってきた。これは市場が必ずしも競合するわけではないが、同業の助け合い精神にもとずく行動には違いがない。
 戦国時代、内陸で塩の生産がない甲斐の武田信玄に、宿敵の越後の上杉謙信が塩を送った故事が「敵に塩を送る」の譬えになった。同様な故事が中国にもないかと調べてみたが、春秋戦国の時代に「宗襄の仁」と言う同じような例があった。しかしこちらは情けをかけた相手に滅ぼされる結果になって、美談にはならなかった。「敵には塩を送るな」の日本とは逆の教訓になっている。この両国の違いは民族の心底に深く根ずくものかも知れない。同様に、ヨーロッパ、イスラム世界ではどうかは、まだ調べていない。