盗人にも三分の理 勝てば官軍

 悪事を働く人間にも、多少の言い分はあるもの、ましてや、一つの主張には一から十まですべてが間違いと言うことはないものだと言うことだろう。日本人特有の惻隠の情かと思ったら、英語の喩えにも「The wrongdoer never lacks pretext」(わるいことをする者は口実に事欠かない)と言うのがある。
「勝てば官軍」とは、争いの決着が正邪の判断をわける。歴史上の争いもその結果が出ると勝者の立場から記録が正当化がされ、それが唯一のものとなりがちだ。鎌倉幕府の記録「吾妻鏡」、徳川幕府の公式記録「徳川実紀」などの公式記録も体制側の記録として読まないといけない。今放送中の幕末の動乱も、観点をかえれば、どちらが正当かは俄かには判じ難い。つまり、「勝てば官軍」なのだ。
 賢明な諸兄姉はもう小生がなにを言いたいかお分かりだろう。
 わが国が、先の大戦で他国に残した数々の被害は申し開きの出来ないことが数々ある。それどころか、開戦の理由を自衛のためと主張する議論まである。しかし、敗戦の立場からは、それを正当化することは甚だ難しい。況してや、粒さの検証もせず、国としての反省も曖昧なままで、過去の所業を正当化することは妥当とは言いがたい。個人がそれぞれの考え方で、過去の事実を判断することは構わないが、いやしくも、公の立場の人間が、自己の主張を軽々と明らかにすることは慎重を欠いた所業だ。その影響が齎すものは大きく、周囲にも数々の波及をう生むからだ。政治家でその配慮が出来ないことはそれだけで、失格者だと思うがいかが。