いよいよ消費増税の決断がやってくると言うのにー

 今日、テレビの「徹子の部屋」に、三條美紀が出ていた。84才。戦後の美人女優が戦時中の実体験を語っていた。
 小生は戦後のインフレ体験の思い出を語りたい。
 現在の政府閣僚は誰も経験していない、戦後の凄まじいインフレは見る見る中に膨らんで、円は氾濫した。其の時、当時の幣原内閣が打った手は、突如の預金封鎖と新円切り替えだった。1946年(昭和21年)2月16日土曜)、「金融緊急措置令」が発表され、週明けの月曜から実施された。預金は封鎖され、旧円を一定金額に限り新円として流通させる。世帯主1ヶ月300円、家族1人当たり100円だけしか預金引き出しを認めない、10万円を超える資産には25%から90%の財産税をかけて召し上げた。新円の印刷が間に合わないので旧紙幣に証紙を貼って代用させた。私の記憶にあるのはこの証紙を貼ったお札である。我が家は父母と小生の3人家族だから、1ヶ月に使える生活費は500円である。我が家は戦災の焼け出されで、物々交換するブツもない。当時、私は予備校に通っていたが、朝、味噌汁だけの朝食では、昼前に空腹でくらくらして来る。で、母に何がしかの小遣いをねだったら、「家にはこれだけしかないよっ。」と開けた財布には5円札が1枚しかなかったのを鮮明に覚えている。因みに、当時のものの値段をいくつか挙げると、算盤=150円、歳時記=25円、アサヒグラフ=2円、会社四季報=10円、などである。殆どの生活物資は、闇市にしか出回っていなくて、食べ物も気軽に買える値段ではなかった。
こんな実体験をしていない政治家諸氏はインフレの極限をどう認識しているのか。わが国の借金は1000兆円を超えた由、世界が、日本は財政再建の意思なしと判断して国債が売られ、円が信用を失ったら、どんな打つ手が残っているか。戦後の幣原内閣が打ったような「緊急措置令」位の荒療治をする勇気があるのか。
 1〜3%の消費増税をするかしないかなどと、うじうじしているようでは甚だ心もとない。