楽天のリーグ優勝が齎したもの

 楽天優勝の翌日、東京の友人と盛岡の友人から「楽天優勝おめでとう」と言う電話がかかってきた。宮城県民のところにはこんな電話が数多くあったのだろう。それほどの祝福を受けるほどの快挙だったのだろうか。
 9月27日の朝日新聞には、田中将大の優勝に至る感慨が長々と載っている。
○自分の投球で打たれたらそれは自分の技術不足、失点を抑えるのが自分の 役目、勝星は運の問題。
○シーズン開幕投手は自分から無理だと申し出辞退した、代わりはルーキー の則本が指名された。チームへの迷   惑を考え無理をしなかった。
○走者を背負うと、ギヤチェンジして、スプリット球などを工夫して三振をとった、などなど。
 彼のなみなみならない思慮が覗える。
 2004年、近鉄オリックスの統合から球界再編騒動が起こり、楽天は残り物選手の寄せ集めでスタートしたが、2005年の初年度は38勝97敗1分の惨憺たるものだった。しかし、球団の本拠、仙台市民は、声援を送り続けた。球団にとって幸いしたのは、2代目監督に野村克也が就任したこと、そして、田中将大の獲得だった。野村監督は3年間選手毎に事細かな育成を施した。4代目星野仙一監督は基礎のできた選手達に意識改革をを吹き込み、実績より意欲を求め、若手の起用で、勝ちに拘る粘りを要求した。
 2011年3月、大震災で東北は大災害に見舞われた。これを契機に、楽天は一丸となって「勝つことが、地元を勇気付ける最大の効果」と優勝を目指し、それが現実のものとなった。
 関西の「阪神]、広島の「カープ」のように地元に熱いフアンのいるチームには一味違う。楽天も今や仙台に密着した心強い地盤を築いたと言えるだろう。