安倍首相の靖国神社参拝から見えてきたこと

 首相になって一年、安倍首相は、独自の判断で、靖国参拝に踏み切った。中国、韓国の反発は承知の上での行為だろうが、両国の非難はもとより、米国、ロシヤ、EU諸国など殆どの国が批判的な反応を示した。本人はこれ程まで批判されるとは予想しなかったかも知れないが、「信念のもとの行動」と言うからには、今後も、改めることはあるまい。
 一国の首相の行動が、個人の信念だけで行う事はいかなる場合であろうと許されるものではない。其の上、先の大戦でのわが国の侵略行為の判定に疑問を持ち、従って、戦後裁判でA級戦犯となった戦争指導者が靖国神社に合祀されたことも当然のことと認識しての行動だったのだろう。平和憲法の改正に向かって、種々法的手法を検討したり、政府内の秘密事項を囲い込む準備をしたりなど、手口は徐々に露骨になってきた。このような一連の動きに靖国参拝が重なり、「日本の右傾化」が喧伝されるようになってきた。最近の自民党内は、かってのように党内に政策に異を唱えるサムライ分子が減り、リーダーの独裁傾向は露わになり、衆参両院の捩じれ解消もあって、政権にブレーキをかける存在が見当たらない。
 役職に伴う公人の重みは、行為の結果が齎す影響を際限なく拡げる。それは復元不能な結果を齎す。国益より個人の信念を優先させ、公私の分別を無視して政治を行うことは許しがたい。その施策が如何に優れ、政策の実績を積んでも、斯様な人物はリーダーとして許容しがたい。