全国の安保諸法反対ののろし

 8月30日、国会を取り巻く12万のデモ、同時に全国の幅広い世代による300万人の「安保諸法の廃案と安倍政権退陣」の要求を政府はどう判断しているのか?ある識者はフランス革命になぞらえている。
 1960年5月20日、新安保条約の強行採決、6月3日の朝日新聞世論調査で岸内閣の支持率は12%、不支持は58%に達していた。6月の米大統領来日に先立ち来日したハガチー秘書は羽田でデモ隊に囲まれ、米軍ヘリで脱出する。6月15日午後7時、安保反対を叫ぶ全学連の学生数千人が国会構内に突入し、警官隊と激しく衝突する最中22歳の大学生樺美智子さんが死亡した。それでもアイゼンハワー大統領の来日をすぐには断念しなかった岸総理に柏村警察庁長官が決断を促すと、遂に大統領の訪日延期を要請、大統領は19日2時間の沖縄滞在だけで来日は中止された。新安保条約は参院で議決されない儘自然承認された。結局岸総理は退陣となった。60年安保反対運動の顛末である。
 この経緯をみると、現在の政情と非常によく似ている。ただ、当時無かったネットワークによる反対運動の広がりや、官憲の強制弾圧も今のところは自制がみられる。
 さてそこで、要求実現の策だが、戦国時代の城水攻めに習って、現在の大衆運動を拡大して持続し、政権の体力を消耗させ、退陣に追い込む。さすれば、秋の自民党総裁選に、党内部からも、批判の動きが出てくるかも知れない。
 それにしても、安倍総理の後継は、自民党内にしか見込みがないのも情けない話だ。