「北の湖」の残したもの

 2015年11月20日日本相撲協会理事長北の湖が62歳で急逝した。15歳中学3年で三保ケ関部屋に入門するが、17歳2ケ月十両、18歳7ケ月入幕、一度陥落するが再入幕、以後19歳小結、関脇で足首骨折するが1974年14勝で初優勝、21歳2ケ月で横綱になる。以後は先輩横綱輪島と「輪湖時代」を現出し相撲界の話題を盛りあげた。全盛期はその取り口が憎たらしいほどの強さで、「江川ピーマン北の湖」などと言われもした。若くして横綱になったので、30歳まで現役を務めた責任感と努力には並々ならぬものがあったと推察する。
 しかし、彼は引退後に現役時代にも増して大きな功績を残した。「時津風部屋の暴行事件」「朝青竜のパッシング事件」「記者クラブとの確執」そして弟子の大麻問題などで、2008年理事長を辞任するが、2012年再度理事長に選任される。一度辞任した者が再度理事長に選任されるということは、北の湖自身の決意と周囲の期待があったのだろう。彼は就任後、協会運営に数々の改革を行い、公益法人の認可を取り付け、本場所、地方巡業運営に活力を施し、相撲人気を復活させた事が最大の功績となった。相撲への情熱、力士への愛情、何事にも信義の厚いことは誰もが認める人柄だった。
 酷使した体力の衰えは62歳の命を奪ったが、ご本人は、協会の後事を託しそれを見守るところまで生きていたかったことだろう。彼の遺志を継ぎ、協会一丸となって更に土俵の好勝負を見せてほしい。