土用の丑の日が来る

 拙宅では、「晴れの日」のご馳走は、鰻か鮨と決まっている。咋今流行りの、イタリアンや東南アジアの料理にはどうも馴染めない。鮨は、回転すしの普及から、廉くて美味しい鮨が食べられるが、鰻の店は数多いのに、資源の枯渇から、どんぶりの鰻は益々小さく、値段は正しくうなぎのぼりである。
 日本人と鰻の付き合いは、遠く縄文時代に遡るらしい。奈良時代万葉集」に「武奈伎」と言う表現の記述が残っている。当時は、ずん胴切りにして焼いたので、がまのほわたに似た姿から蒲焼の名称が生まれたとも言う。江戸期になって、醤油や味醂などの調味料が使われるようになり、背(腹)開きにして広く庶民に食べられるようになった。落語のネタにも多く取上げられている。「素人鰻」「鰻の幇間」など多数あるが、「薬缶」という噺に、横丁の隠居が八五郎から鰻の名前の由来を尋ねられて、「それは、鳥の鵜が飲み込むのに往生して、鵜が難儀するから、うなんぎ、うなぎになった」と解説する。しかし、今日、難儀するのは、我々庶民である。土用に鰻を食べる習慣は、蘭学者の平賀源内の発案とも、太田蜀山人が「神田川」(料亭)の依頼からだとする説もある。
 ニホンウナギ絶滅危惧種としてレッドリストに載せる気配で、そうなると、国際取引は規制されて、食べられなくなる気配だ。しかし、鰻の分布は広く、従来の台湾産、中国産の他、米国産、豪州産などの他、アフリカマダカスカル産の鰻も輸入がはじまった。従来の日本鰻と新輸入の食べ比べをしたところ、味の違いをはっきり出来なかったとするテレビ番組もあった。
 日本鰻の完全養殖も始まったが、量産までまだ程遠いようだ。老い先短い当方としては、タスマニアでもマダカスカルでもいいから、調理の工夫で、できるだけ美味しい鰻の蒲焼の登場を期待したい。